『人間性の回復を求めて』 神は人をご自身のかたちとして創造された

小平聖書キリスト教会牧師 遠藤勝信

 もっとも、近代に起こった人間解放運動は、良きにつけ悪しきにつけ、そういった「人間が人間であること」や「人間らしく生きる」という価値観からも人間を解放することを課題としました。それが今日の「自由」の概念を構築し、「無神論」への道筋を築くこととなりました。しかし、はたしてそれは正しい道程であったのでしょうか。「人とは何者なのでしょう」。私たちは、この問いに対する明確な答えを持っているでしょうか。ありのままであるために、私たちはこの問いとしっかり向き合わなければなりません。

 聖書の答えは、単純、明解です。それをひと言で言い表すのなら、「神は人をご自身のかたちとして創造された」(創世記1:27)ということです。つまり、人間とは「神のかたちを帯びて、神のかたちを担って、神のかたちを表すものとして特別に生かされている存在である」ということなのです。では、神のかたちとは何を意味しているのでしょう。J.I.パッカーという神学者は、『聖書教理がわかる94章ーキリスト教神学入門』(いのちのことば社、“'Concise Theology - A Guide to Historic Christian Beliefs”)の中で、それはまず、人格的存在であること、理性的であること、創造的であることと定義し、さらには、世界を治めるため、神の代理人として、自らの「からだ」という具体性をもって、世界を治めるという役割をもそれに含めています(p.99)。特に、次の解説が重要です。

 「(神のかたちとして創造された人間は)地上において神を直接に代表する者として行動することができるということである。このために人間は創造されたのであり、ある意味で私たちは、このことを実行する範囲内においてのみ人間らしいと言えるのである」(p.99)


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